オレンジのゆめ

残留決定までの一週間の父と娘のおはなし

大切な大切なフットサル仲間との思い出

はじまりはエスパルス
ファンでも
ある同僚の家の近くに
出来たフットサル場。

最初の頃は
他チームにまざり
リーグ戦やカップ戦に
出場。

その後

同じ職場のメンバーを
数えてみると
5人以上いるぞ😄よし!!

という訳で、職場の
でこぼこフレンズ
フットサルチームが
誕生しました。


ときは、まだ2000年代。

みんなもう少しだけ
若かった。

週1回のリーグ戦にとどまらず
練習、カップ戦とりつかれた
ように参加しました。

いま冷静になって振り返って
みると仲間として呼んで
もらえるのはとても
ありがたい事なのに

当時は、そこまでひんぱんに
フットサルがあると
ネガティブ全開。

今日は疲れているので
行きたくないと
ココロが拒否してしまう
時もありました。

それでも、いかなきゃと
思えたのは
自分が会計係だったから

回数を重ねると、少なかったり
多かったり(人とお金が)

職場からユニフォームを
買ってもらったり
お小遣いをもらったり

うれしい事もあったけど
2時間で15,800円必要で
4人しか集まらなかった事も。

いちばん大変だったのは
平日のリーグ戦。

人が集まらない事が
多くて、助っ人を
お願いしたり、
いつも来ない人に
無理無理お願いしたり
基本ギリギリ5人の時が
多かった。


試合が成立しないと
不戦敗で
しかも相手チームの分も
お支払いしなくては
いけないので

会計係は
必死でした。

そんな毎日を
繰り返していた
我がチームに

みんなに愛される
とっても素敵な同僚が
いました。

いつも彼と話すと
笑顔になれる
不思議な同僚でした。

大げさな話ではなく
みんな優しい彼を
たよりにして
彼と接する人は
みんな彼の事が
大好きでした。


そんな。
まだまだ職場の
フットサル人気が
沸騰中の

リーグ戦が
あった翌日の朝。

突然にチームメートは
旅立ちました。
バイクでの事故でした。

同僚の私達でさえ
うちひしがれたのに
ご家族のことを
思うと

ひと目をはばからず
なみだがこぼれて
とまりませんでした。

もうその事は
書けません。


それでも業務は
みんな続ける
しかありませんでした。

一週間後には
リーグ戦が
あるけど
自分はもうフットサルを
続ける気にはなれません
でした。

しかし、他の同僚達は
違いました。

彼の大好きだったフットサル
追悼の意味も
あるので残りのリーグ戦
続けようでした。

自分は心がヘトヘトだったけど
追悼と言われたら
やるしかないですよね

何かの力が働いたのか
みんなで頑張ったリーグ戦は
見事に優勝。

震災があった年の秋の
出来事。

それから自分は年一回の
彼をしのぶ会の食事会と
追悼サッカー⚽にしか
参加していません。

あれから何年も
月日が過ぎ去って
しまったけど
たまに話題になる
同僚。

みんなの記憶は
いつまでも
若い姿の
彼のまま。

そして
思い出せるのは
みんな大好きだった
彼の笑顔😃




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